義援金を頂いた方々へのお礼と御報告


昨夜2011年3/27日深夜帰って来ました。
当初3/26(土)出発前まで、有志が一人もおらず、当方一人で行く予定でした。
ただ片道200キロ程あるので、又日帰りの予定だったので、帰り居眠り運転をする可能性が大で、
いろいろな人に直接同行を募ったのですが誰一人賛同者はいませんでした。
まあ、原発事故の同月に又30Km圏内を乗り越えて行くなど、当然のことかもしれません。

しかし、当日店のスタッフである、先週21歳になったばかりのスタッフである竹花君と言う若者が
同行すると言ってくれました。竹花君は運転免許を持っております。助かります。
非常に勇気有る事と褒めてやりたいです。皆さんも店に来たとき竹花君が居たら褒めてやって下さい。

 ※後から追記ですが、30キロ圏内と言うことも有り、わたくしの判断で、圏内滞在時では
  車内の換気を止め、車外へ出るのは、わたくしマスターだけにしました。

義援金金額と、救援物資内容の報告ですが、
3/18日から3/26日迄の間で5万2千円が集まりました。
又26日に来てくれたお客さんとミュージシャンが当店ホームページで呼びかけたかい有って、
水、食料、諸々、を持ってきてくれ、物資も増えました。、それ全てと当方が個人的に買った食料、
店に在庫してあった3ケースのビール全てを揃えました。
もちろんガソリン代と高速代は当方の自腹です。

店が終わり、用意した救援物資を車に満載した後、朝まで仮眠しました。

3/27日朝9時に起き、原発風評で誰も寄りつかない場所へ出発です。
行く道、高速道路は平和そのもので、大災害が起きた事等、嘘のような感じでした。

目的地の久ノ浜へ行くには、いわき市四ツ倉で高速を降りるのがいちばん近く、便利ですが、
目的インターチェンジ周辺は道路が破壊されているようで、手前のいわき中央で降りました。

49号線、6号線でいわき市経由、久ノ浜へ向かいました。途中、のどかな光景がだんだん変わって
来ました。いわき市に入る手前から石垣が歩道に倒れたり、家が傾いたりで、又全ての店が閉まっており
、ガソリンスタンドも閉鎖されております。まるでゴーストタウンです。

いわき市の中心を過ぎ、四ツ倉地区へ入った途端、津波の爪痕が光景に現れ、何とも言いようのない
有り様が目に入って来ました。とりあえず数日前に電話で尋ねた四ツ倉支所へ立ち寄りました。

副支所長が対応してくれ、目的地の原発立ち入り区域ぎりぎりの、又津波の甚大な被害と
原発風評被害を被っている、久ノ浜の状況と立ち入り許可(自己責任で行ってくれとの事)を尋ねました。

浜自体は破壊されており、誰もいなく、その内側の津波被害を受けていない民家で、
福島第一原発30キロ圏内前後の箇所のお年寄り、一人住まいの方達が取り残されている。
他へ避難するのをいやがってこもっているとの事でした。そこへ食料を持って行ってくれとの事でした。

前もって用意しておいた地図に副支所長の指示する個所に印を付け、支所を出ました。

支所内の状況ですが、箇所箇所の空いているスペースに全て救援物資が山積みにされておりました。
かなりの量が用意されています。特にペットボトル水は、膨大な量で、あと佐藤のご飯、ラーメン
、などがありましたが、肝心のおかず類が案の定少ない。前もって調べておいて良かったと思いました。

カンズメ類、レトルトカレー、てんぷらうどん、皿うどん、カップ麺、梅干し、ふりかけ、おにぎり用
のり、ビール(たまには一息つきたいでしょう)、缶切り、ティッシュ、生理用品(女性の
お客さんが26日持って来てくれました)、等々、思いつくものを持って行きました。

あと1週間もすればある程度落ち着くでしょう。今が最も苦しい時期の最終だと思います。
 支所を出た後、とりあえず浜に誰もいないと言っておりましたが、ひょっとして一人でもいたら、
食料を届けようと思い久ノ浜の海岸付近へ行ってみました。

メインの道路の瓦礫だけ取り除かれており、被災にあった建造物は全てそのままの手つかずで放置
されておりました。重機が間に合わないのでしょう。また重機操縦者が寄り付かないのでしょう。

ほぼ建造物が破壊され、見るも無惨な状態ですが、中に数件まともに平屋が残っている家屋があり、
よく残ったなあと思い、記念に写真を撮りました。その後よく見たら、ぞっとしました。
それは2階の部分で1階は全て押しつぶされており、そのままの状態で2週間放置されております。
多分数名その下で、お亡くなりになられていると思います。所々そういう家屋があります。

目の当たりにして、なんとかご遺体だけでも出してあげたいと思いますが、どうしようも出来ない
非力の自分が不甲斐なくなさけなかった。食料を届ける事ぐらいしか出来ない自分に腹も立ちました。

数件住めそうな家もありました。尋ねてみましたが、誰もいませんでした。

合掌した後、その場を去ろうとした時、消防隊が消防車で低速運転巡回して来たので、呼び止め
状況を尋ね、一刻も早くご遺体を出してあげてくれと頼みました。しかし重機が無いのでまだ暫く
無理との返事でした。悲しいことです。

 その後、取り残されているお年寄り連中が住んでいる町の場所をここからどう行くか詳しく尋ね、
その場を再度黙とうの後去りました。

 迷子になりながら、目的の地へたどり着きました。一軒一軒チャイムを鳴らすが、誰も出て来ません。
結構大きな家も一杯あります。多分原発30キロ境界あたりだから、殆どの住民が怖がって他地域へ
疎開しているのでしょう。想定内である。らちがあかないので少し移動したら、小学校がありました。

そこの入り口に非常用の水道が設置され、そこに大人と子供2人がペットボトルに水をくんでいました。
矢張りあれだけ支所に山積みされていた水は届いてないようです。その水をくんでいる大人の方に
いろいろ尋ねようと思ったのですが、ずーと携帯で誰かと話をしており、10分立っても20分たって
も終わりそうになく、しびれを切らしてその場を去りました。その小学校内で見た人以外、他での
人影は有りませんでした。矢張りゴーストタウンです。

しばらく状況を把握するため車で町を偵察していた時、一台のトラックと遭遇しました。
ご夫婦らしき2人が乗っておりました。地元の人のようだったので、呼び止めて車から降り、いろいろ状況を
たずねました。そして、食料、等を持って来たので、みんなに配りたいのだけど方法がわからず困惑していると、
伝えました。
その夫婦らしき2人はたいそう喜び、一旦家で預かり、明日みんなに配る予定があるから自分の家まで
来てくれとおっしゃった。
家に着き、食料類全て彼らの家の玄関に置き、帰路に向かうつもりだった。

玄関に下ろしている時、ビールも持って来たので、気が詰まって精神的に大変だからこれでも飲んで
気を紛らわせて下さい(酒類は全く入ってきてないようです)。と言った時の男性のほころんだ顔が
忘れられない。

下ろした後、ここは山の中なので迷子になっております。帰り道がわからない事を告げ、ご夫妻に支所
まで車で先導してもらう事にしました。

支所到着時、直ぐ出発するつもりでしたが、止められ、副支所長がお礼の挨拶をしたいと申し出たので、
再度お会いしました。お礼を丁重に言われましたが、今回この救援は、東京でジャズの店をやっていて、
そこの店に来ているお客さんが義援金を出してくれ、そのお金で購入して、僕が彼らを代表して
持って来ただけです。と伝え、頑張って下さい。と告げ帰路に向かいました。

追記
別れ際、彼らが我々に、”絶対に復興させますので、その時は観光で絶対に来て下さい”と告げた。

もちろん復興に何年もかかるはずです。いつも意識を持っている事は大事である事を踏まえて、
とりあえず我々東京は、みんないつものように精一杯仕事をし、酒も飲み、我々アフター5である
ジャズの店もいつものようにライブをし、一生懸命に演奏をし、みんないつものように元気にやる事が
復興も早める事に繋がる。自粛は決して良く無い、特に企業は、と当方は考えます。

                                    2011年3月28日記




●4/5 追記

 今回、いわき市久ノ浜地区へ行って参りましたが、又4/4に物資をもって行こうと思い、4/1に
久ノ浜地区役場の太田次長さんへ電話を致し、状況をたずねました。食料関係はおかげさまで何とか間に合う
ようになり、久ノ浜区民の方達も他地区へ避難がもうじき完了するとのことでした。ライフラインも大分復旧
してきたようです。動こうとしないお年寄りの方々にも、毎日の食料が配給可能になってきているとの事でした。

 又、当然捜索員の方が手作業で捜索はしていますが、ただつぶれた家屋の下敷きになって、見つけることが
出来ていない御遺体が非常に気になっておりましたので、いつ重機が入るかたずねましたところ、やっと4/12から
作業が始められるとのことでした。一応安心はしましたが、一ヶ月が過ぎた頃から、重機による本格的な遺体捜索を
兼ねた撤去作業が行われると言う悲しさは、無情に近いものが有ります。見つかったご遺体が判別可能であり、遺族に
確実に渡されることを祈ります。久ノ浜地区は、ひとまず当方の急場の手はいらなくなった模様です。

 あと、当店に良く出演している土濃塚隆一郎君が3/31に出演した時、明くる日車を取りに秋田へ帰るので、
その足で隣の県の南三陸町へ救援物資を秋田でかき集め、持ってゆくとの事だった。別れ際頑張って行ってこいよと別れた。

明くる日の4/1帰ったはよいが、秋田市では食料が殆ど集められず、東京から物資をかき集めて送って欲しいと緊急連絡
があった。知らぬ振りも出来ず、即座に近所でかき集め、レトルトカレー約258個を大型段ボール2個に分け、
佐川急便で彼の実家へ送った。費用と送料は店で頂いた義援金の残りの2万5千円程を全て遣わせて頂きました。

4/4南三陸町の避難所へ持って行ってくれたのですが、そこは未だ水道、電気、ガス全て不通状態で、自衛隊が
ご飯を炊いて持って来てくれるのと、パン1人一個の一日2食のみである。おかずが殆ど無い状態で、おかずと、
電池(夜は真っ暗でトイレにも行きにくいと思う)、懐中電灯本体(ロウソクは火事の可能性が有るので不可)、
などが必要。灯油ストーブと灯油があったらなお助かるようだ。

 まだ日本赤十字、ユニセフ、等 義援金が配られていないようだ。なぜ我々のような対応が出来ないのであろうか?
公務員には悪いが(みんながみんなとは言わないが)、体質的に、公務員化しているのかも知れない。

SOMEDAYは暫くこの方法で皆さまからいただいた義援金を使います。

皆さん、引き続き義援金を御願い致します。
勿論、当方も個人的に義援金箱へ随時入れてはおりますが、せいぜい5千円迄づつで、多額を入れないずるさに、
多少気が引けますが、許してもらいたい。

 取りあえず、東北東海岸の方達の一部は、東京の電力供給のための犠牲者とも言え、我々東京の身代わりになったとも思える。
だから、今回この災害は僕にとって特別に、人事とは思えない。あまり無理は出来ないが、出来るだけの事は、したいと思っている。

最後に、水、物資を持ってきてくれる方がおられます。大変有り難う御座います。しかしやはり義援金としてお金を頂いた
方が今は助かります。理由として、今後避難所へ物資を持ってゆく場合が多くなると思いますが、大体の避難所は200人前後
です。例えばレトルトカレー、缶詰め、カップ麺、等、200人へ同じ食料をエコヒイキ無く渡すのがベスト。カップ麺なら
200人の避難所へ同じもの200個と言う形を取りたく思います。

自費で全て出来ない情けなさは有りますが、みんなの代表として動きますので、よろしくです。マスター森

もし、店に来れない方は、振り込みでもお受け致します。
メールをいただいたら、口座番号をお知らせ致します。よろしくお願い致します。

 ※コンサート会場も多く中止になっています。中止にしたら何も生まれません。
  中止にせず、ちゃんとコンサートを行い、又その場で義援金を呼びかける。
  場合によっては、今回の災害のチャリティーコンサートも兼ねて仕切直す。
  決して中止にするのは良くないと思う。


これを御読みの皆さんの中で、賛同者は、こう言う状況に遭遇した場合、
その主催者にコンサートなどを中止せず、以上の事を伝えてあげて下さい。




●4/21 追記その2(義援金の使い道3回目)

4/19の時点で、義援金が約7万円たまりました。
前回持って行ってもらった南三陸、まだ行っていない南相馬、等 役場へ電話をしたら、ほんとかどうか判らないが、
大体落ち着き、物資もちゃんと入って来ているとの事でした。そこで再度福島県いわき市へ電話をしてみたところ、
やはり大体避難所の食料物資は揃ってきているけど、レトルトものなどの、おかず類(多少のコーヒー、ジュースなど
の贅沢品少々も有ればなおとの事)が充分で無いとの事でした。

そこで今回の第3回目は、いわき市全体の避難所を統括するいわき市物資班へ持って行く事にしました。

早速、近所の食材屋さんでレトルト600食、缶詰め480個、オレンジジュース360缶、コーヒー缶360缶、ウーロン茶144本、
ところてん48食(子供のおやつ)、ビール72缶(大人のおやつ)、等々を値切り倒して揃えました。

3〜4万オーバーしましたが、取りあえず立て替える事にしました。総重量約500kg。

さあ当方持って行こうと思ったのですが、5/7日の30周年記念ビッグバンドフェスティバルが終わる迄、1日も休みが有りません。

いつ行こうかいろいろ考えました。気合いを入れて店が終わってから車で持って行き、とんぼ帰りで帰ろうと思ったのですが、
最近体力が少し落ちた事も有り、考え込んでしまいました。

そこで、言い訳がましいですが、今回は、前回みんな怖がって誰も行かない場所へでは無く、宅配可能地区なので、
宅配便で送ろうと思い付きました。
早速、くろねこさんに来てもらって見積もりをとってもらったのですが、全部で500Kgほど有り、普通の宅配だと
6〜7万円かかるとの事でビビッテしまいました。これは当方の負担ではかなりきつく頭を抱えてしまいました。

いろいろ相談した後、輸送方法や取り扱い方が違う便で、ヤマト便 と言うのが有るとの事。
これで送れば500キロでも9870円で送ってくれると言ってくれました。大感謝です。

従って、今回はいわき市物資班へクロネコ便で送り、スタッフの方達に、避難所へ持って行って貰う事にしました。

4/21 店が始まる前に、くろねこさんに来てもらい、無事出荷する事が出来ました。
その際、当日出演の太田寛二、横山和明 両氏が進んで手伝ってくれたことに感謝します。

余談話。
いわき市、南相馬、南三陸、各役場の災害救済班の方達と色々話したのですが、
今現在、原発30キロ区域内に被災者はほとんどおられず、すでに大半区域外の避難所に移動しているとの事。
ただ、圏内の遺体捜索はやっと開始したところで、どれだけ真剣にするのかは解らない。
4/21発表の20キロ圏内に入った者は、罰則、罰金と発表が有った。
危険だから、入らないように禁止する事は当然解るが、入る可能性のある人達は、殆ど被災者、被害者で、止むなく入るのであるから。

その人達を罰してどうする。

原発周辺の遺体捜索を今まで置き去りにして、遺族の方達に遺体は見捨ててくれと言っているも同然である。

まったく、政府のばか連中は何を考えているのか!。

又、他色々きいたのですが、この日本歴史史上始って以来の災害で家がなくなり、また自分の家がどの辺か確認が難しく、
まだこれからも余震が続き、もどる計画も立てられない。
しかも建てられたとしても、又津波が来る恐怖で躊躇してしまう。
仮設住宅も追い付かず、避難所生活が数年の長期になる方達も出てくるのではと。
しかも地元産業も破壊されており、働く場所も無い。との会話でした。

願い
ニュースできいたのですが、被災地以外(例えば関西)から、瓦礫撤去などの作業を、国が日当を出して募集しているようだ。

しかしその人達を雇うより、そこで被災された被災者の方達の中から、募集する様にできないもので有ろうか?。

もしそう出来れば、勿論色々な問題が起きるとは思うが、思い出の品も見つけながら作業ができ、収入も得られ、
これから長い道のり多少とも頑張れるのでは無いかとも思う。

   と、いちJazz店のマスターは思う。

                         Jazz SOMEDAY マスター森 茂信


●5/4 追記その3(義援金使用、中間報告)

義援金使用、中間報告

4/21迄(計3回分)に東北東海岸被災地へ届けた物資、等の総額

  ◎お客様より頂いた義援金(2011年4月21日迄の総額)の合計176865円

  ◎当店から支出した総額(送料、交通費含む)65763円

  ◎随時お客様より当店へ持参頂いた支援物資、多々。(金額不明)

お届け致しました。

以後、15万円前後義援金が貯まった時点で、皆さまを代表して、再度持って行くか、避難所へ直接送るか致します。

※政府が8月迄に仮設住宅を全て建て切ると発表が有りました。
それまで、頑張って届けたいと思います。

★それ以後は、日本赤十字又はユネスコへ皆さまの代表として基金致します。(このころには、ちゃんと機能してるでしょう)

■今までに大変高額の義援金(レジの時5千円を出してくれた方もおられます)を出された方もおられ、誠に感謝致します。
又、一部の学校から、我々の代理で物資を持っていってくれと依頼、まとまった義援金をいただきました、
日本医科大学音学部、昭和大学Medical All Stars Big Band、自治医科大学Rute 4 Jazz Orchestra(世界で大きく影響を
与える人物100人に選ばれた被災地で活躍している医師がサックスで所属していたバンド)、順天堂大学JAZZ研究会
の各BIG BAND。 立教新座高校ジャズ研究会 諸君。
も兼ねて、皆々様お客さんを代表して、当方が届けて参りました。

なお、まとまった義援金が集まった都度、引き続き行います。

※レトルト、缶詰で有れば、物資として受け取ります。当店お越しの時、お持ちいただければ助かります。個数不問




●5/17 追記その4

5/14、15、16の3日間、石巻の泥出し、破壊された家財道具、畳、等の搬出作業のボランティアへ行って参りました。
想像を絶するひどさでした。浜周辺は内陸に向かって、多分2〜3キロは壊滅状態で、集中爆撃の後よりもひどい状態です。
50センチも60センチもある鉄骨が飴の様に曲がっており、表現に困る有り様です。以前行った久ノ浜地区よりも、もっと
ひどい状態です。又何かが腐った悪臭が一面を漂い渡り、吐きそうな時も有ります。殆ど魚や冷蔵庫の内部の物が腐った臭い
だと思いますが、まだわずかに残っている御遺体の臭いも混ざっているのではと考えると、やり切れない気持ちです。神も仏も
ありゃしないと、恨み言の一言でも言いたくなりました。

当方今回内陸地区の半壊地域の搬出作業へ行きましたが、床下からまず津波が入り畳を突き上げたのでしょう、エビが踊って
いるように部屋の中に舞い上がっている宅も有りました。畳は全て出さなければなりません。しかし未だ水を含んでおり、
しかもウジが沸いている場合も有り、重くてまたぬるぬるで容易に持てず、1枚の畳を4人で持たなければ、出せない状態でした。
冷蔵庫、タンス、棚、等々ほぼ再生不可能なものばかりで、全て搬出撤去であります。車も庭で小さな倉庫の上にのったままで、
これは重機が無ければ下ろせないので、申し訳ないがそのままにして帰りました。

 行き道、松島、東松島、野蒜、石巻と通過して行きましたが、松島だけ小さな島が一杯有るおかげで、それが防波堤の役目を
したのでしょう、海岸際の売店がやられた以外は、結構助かった家が多かったようです。他の個所は、矢張り壊滅状態でした。
石巻でボランティアをやりながら思ったのですが、これを片づけるのに多分3年位かかるんじゃないかと想像するに、
やり切れない気持ちで一杯でした。又もし私の住んでるところがこれだったら、と考えるとうな垂れるのみです。

 今回石巻へ行った時、多くのボランティアの人々が来ておりました。
中にはテントを張って2週間も3週間も泊まり込んでボランティアをしている方も多かったです。
来ている方も結構遠い場所から来ている方も多く、確認出来た方達は、福井県、南魚沼郡、長野県、新潟県、大阪、横浜
、東京、北海道などから、多い場合12人のチームを組んで来ておられました。また外国の方もいまして、日本在住の
イギリス人、ニュージーランド人、カナダ人、アメリカ人、なども土日車で寝泊まりしてボランティアをしておりました。
日曜にガレージの泥出しを15人程のボランティアで行ったのですが、その中にいた外国の方4人の内2人が、SOMEDAYで
会った様な気がしたので、SOMEDAYを知っているか?と尋ねてみたら、案の定時々来る2人でした。こんなところで会うなど
、普通あり得ない事であるので、非常にびっくりしました。そして、外国に来て又逃げもせず、ましてやボランティアに
はるばる東京から来るなんざあ、頭が下がります。思いっきり、彼らをほめてやりました。大変立派な人達である。

食料事情ですが、炊き出しは来ているには来ているが、この地区は結構食料に関しては、行き届いている様に感じました。
この先の女川、南三陸は山越えであり、食料すら未だ充分では無いと、尋ねる現地の人々みんな、口を揃えて言っていました。


●5/21 追記その5

先日行った石巻のまだ先の先である、南三陸地区の避難所へ、本日5/21日、レトルトカレー1680食(計360キロ)を
皆々様から頂いた義援金12万円と、当方が親しくしている新宿ゴールデン街の店であるスローハンドさん(当方に渡す方
が直接現地に配給してくれると判断してチャリティーライブの収益金を手渡した)の41249円を合わせた16万円で購入し、

ヤマト便で発送致しました。送料は店が負担しました。

今回レトルトカレー2000食を購入したのですが、1680食は南三陸地区の避難所。
300食は、今月末 当店に良く出演してくれている岡 淳 ts君、高瀬 裕 b君、広瀬潤次 ds君、西藤大信 g君の4名が
釜石と大槌町の避難所2個所へ慰問演奏をしに行くと聞いて、300食を持っていってもらうことにしました。
残りの20食は、当方が買い取り、従業員を含め状況を共有する為、みんなで毎日同じ物を食べることにしました。


●7/4 追記その6

2011、7/2 チャリティーライブの義援金収入報告。

◎義援金(チャージ)として157000円頂きました。

◎飲食代総売り上げ93580円を、スタッフ3名の人件費 + 出演ミュージシャン14名のギャラ
 (たいして払えなかったので非公開)へ全て当てました。

◎計算上、端数として1520円残りました。
 14名の出演者へ109円ずつ分配しようと思いましたが、申し訳ないが独断で義援金箱へ入れました。

◎飲食材料費、光熱費、運営費代、等々は当方マスターの負担(義援金のつもり)で行いました。

※今回この事に関しては、苦しい今の当店の経営状況をねじ曲げて、1円も利益を上げず、
 しかもスタッフ、出演者のギャラ以外の経費全てを、当方が負担すると決め、行いました。

◎7/1迄に12万円程が義援金箱に残っております。従って合わせて30万円弱になりました。(通算80万円超)

◎皆さま、どうも有り難う御座います。引き続き皆さまのご意志を、この日本の危機の為に使用いたします。

※当日出演者14名の中に、支払ったギャラの一部もしくは全額を入れていただいた方が数名居られます。
 非常に感謝いたします。有り難う!。なおの事、みんなの気持ちを充分に現地へ繁栄致します。

◎最後に、お越しいただいたお客様、楽器修理を気を良くお受け頂いた国立音楽院理事長新納様及び生徒の村田様、
 インターFM(76.1MHz)様、ピーター・バラカン様、出演頂いた14名ミュージシャン様、楽器を寄付していただいた
 方々、当日働いてくれた3名のスタッフ、等々大変感謝致します。
今迄被災地へ行った時に、何枚かの写真を撮りました。
親しい人には見せましたが、ネットへアップするのは多少ひんしゅくだと思い
今迄アップ致しませんでした。しかし、数人の方々から是非アップして実際の
今の現地の現状をみなさんへ知らせるのも、大きな意味が有ると指摘されました。
従って遅ればせながら、本日2011、5/24 にアップ致しました。
現地の現状を伝えられたらアップしたかいが有ります。


from 28 March 2011