2015年12月27日ーーー2016年1月5日
カンサスシティー&マイアミ&ニューヨークツアー弥次喜多道中 報告!!!

 ● カンサスシティー編(2泊)

 ● マイアミ編(2泊)

 ● ニューヨーク編(4泊)

SOMEDAY ジャズツアー1、2日目のミニレポートです!
※今回一般のお客さんの申し込みはなく、スタッフの藤崎君のみの参加という事でしたので、
 彼の希望で一カ所行く事にして、リオは止め、チャーリー・パーカーの生まれ育った、
 又、カウント・ベイシーが成功をおさめ、チャーリー・パーカーやマックス・ローチが中心に
 今のビバップスタイルが生まれたと言う、伝説の地、カンサスシティーと、
 私マスターの希望するマイアミ、そして、本来の大目的のニューヨークの3カ所に変更いたしました。
 おかげで、費用も10万以上安くなり、助かりました。

 随時、弥次喜多珍道中をウエブアップしますので、見てやってください。
                                     マスター記


スタッフより 成田空港を出発した我々二人は、12時間のフライト後にミネソタ州の
ミネアポリスに到着しました。自分にとって初めて踏み入れるアメリカの空気はとても新鮮でした。
実はこのフライトが飛行機の部品交換でかなりの遅延をしていたため、
次の便を遅らせしばらく休憩。その後乗ることとなる飛行機を眺めながら
ハンバーガーをかじります。

さて、最初に訪れたのはミズーリ州のカンザスシティ!ジャズが生まれたのがニューオーリンズ
ならば、ジャズを発展させたのがカンザスシティと言われ、かのカウントベイシーがベニーモーテン
のバンドで腕を奮い、自分のバンドを立ち上げた場所。そしてこのオールドベイシー楽団
テナーサックス奏者、レスターヤングをこっそり聴きながら後にビバップというジャズ時代を
作り上げる人物、チャーリーパーカーが生まれ育った土地でもあります。

カンザスシティのダウンタウンを南下した18th and Vine Districtは、当時からずっとジャズ
クラブが立ち並ぶ歴史ある地域。凍える雪模様の中アメリカンジャズミュージアムと
その併設されたクラブ Blue Roomに行ってみると丁度ビッグバンドのライブが始まりました。
なんでもこのカンザス出身の人たちが集まり結成されているバンドらしく、サウンドはとても
ご機嫌!Benny Carterがアレンジを提供したカウントベイシーの名アルバム
Kansas City SuiteよりVine Street Rumbleやこの地で生まれた名曲Moten Swingなどを
アクセントに様々な曲目を聴かせて頂きました。

ちなみに時差ボケのせいか軽く寝坊しながらも、お昼ごはんはカンザスならではの
バーベキュー料理!焦げ焦げに見えるけど、味付けは最高。地元の家族連れがどんどん
集まってきて大量の肉とダイエットコーラを平らげていく様子を眺めながら、アメリカ人の
体格に納得する二人でした…。笑

                     記 藤崎君



カンサスシティー編

Kansas空港!マスターとスタッフで自撮りしました。笑


カンザスの空気を味わいます


本人曰く、Duke Jordan の"Flight to Denmark"っぽいよな、とのこと。笑


BIRD LIVESの銅像その2とマスター
澤田一範 as君が涙するんではないかと、想像をしたマスターでした。


BIRD LIVESの銅像その3


くわえ煙草の…何かと絵になる男ですね。18th streetでの一枚。


at 18TH AND VINE ST.
Basie好きなスタッフとしては大興奮のVine Street Rumbleでした。


歴史を感じますね。


カンザスシティといえば、バーベキュー!黒こげですけど、味がしっかりしていてとても美味しい!
オバマ大統領も訪れていたようで、たくさん写真が飾ってありました。


オリジナルソースを気に入るマスター。


以下、American Jazz Museumに併設されたジャズクラブ、BLUE ROOM
ジャズの歴史を伝える、資料館としての役割もあるようです。かつてこの地で行われたライブのチケットが…!


Bennie Moten Orchestra
人を引きつける力に優れた、人間味あふれるバンドリーダーだったようです。


後に上記のバンドを引き継ぐ事となる、カウントベイシーの姿が!


Louis Neal Big Band、いいサウンドしてます。


やはりCount Basieの楽曲には特別の思い入れがあったようで。
Vine Street Rumble, Down for the Count, Moten Swingをこの地で聴けるとは、なんと言う贅沢。笑


気さくなHand-some Pianist Charles Williamsが宿まで送ってくださいました。



マイアミ編

メイン通りの横道にて


ボサノバの生演奏を聴きながら食事をしている場所から撮影


海岸沿いの出店。江ノ島みたいですねえ!


オープンレストランで記念撮影。撮影時グラマーなおばさんが、横切ろうとして失礼、と恐縮しておりました。


オープンレストランの様子。


12/30ブランチにオープンテラスのシーフードレストラン、HABANA 1956と言う店へ行き、
思い出にロブスターメインのシーフードを食べました。ごちゃごちゃした説明は無用
いやあ! うまかったでありました。


マイアミのメインである海岸です。永遠と続く白砂の海岸は、リオを彷彿すると言うか
それ以上に圧巻たるものがありました。
また、所々トップレスのおねいさんが日光浴をしており、その開放的な気風に関心しておりました。


このマイアミも、カンサスシティーと同じく、二日間しか滞在しないので、
心残りがあります。最後の晩と言うか二日目で去る悲しみもあり、ホテルの近所の
Spanish通りだったかで、酒池三昧で一夜を過ごし、ニューヨークへ経ちます。



ニューヨーク編

ニューヨークに着いた日、まず1958年にハーレムで昔ジャズの偉人達の集合写真が撮られた
A GREAT DAY IN HARLEM である現場(126 street & 5 Ave とマジソン通りの間)へ行きました。
近辺同じような建物がいくつかあり迷いましたが、写真を見ながら探して特定できました。
中央の階段は封鎖されておりましたが、隣の階段に座らせてもらい、写真を撮らせていただきました。
             ごめんなさい。

A Great Day In Harlem1958


 当方ハーレムに来ると、たまに立ち寄る教会で、ハーレムで一番大きいゴスペル教会です。
名前は、GREATER REFUGE TEMPLE CHURCHと言い、色々な催しの時に、
ハーレム在住のプロテスタントの方々が集まる、いわゆるハーレムで中心となる
教会兼集会所(日本で言う教会を兼ねた公民館の様な所)に二人で行きました。
もちろん、新年をこのハーレムの地の中心の集まりの場所で迎える事を目的に!。

 大晦日の21時頃、Aトレインに乗り、メインストリートである125ストリートで下車。
東に1キロ程歩いた所に位置するこの教会。まだ一二回程しか来た事が無いが、全収容1200人
程だろうか、来る度に半数以上の集客がある。
しかし、今まで私以外は黒人の人のみで、非常に恐縮するひと時を持った。
今回は後半800人程来たであろうか?。
今回は我々以外には白人3人の家族連れが参加して、多少安心というか、申し訳無い気持ちが和らいだ。
もちろん参加する事の同意をスタッフの方々に得た事は、特筆しておきます。

 さてミサが始まり、ハモンドオルガン、エレピ、エレベ、ドラムが加わりゴスペル隊の
合唱が始まる。ここらの人々は子供の頃から集い、又聖歌隊に参加し、と、幼少期から体に
染み付いたビート等が自然と会話にも、多ジャンルの歌、演奏にも。
勿論ジャズ、ブルース、R&B、等に自然と反映される。
羨ましい環境である。
いやあ・・・・・勝てないなあ。と つぶやいてしまう。


そんなこんなで、新年をゴスペル教会で過ごし、その後ハーレムの飲み屋で
見知らぬ人々と新年を迎える事が出来た。(日本人のカップルが来ており、声をかけられ驚きました)



マンハッタン島を北に超えるとブロンクス。ここには多くのミュージシャンが永眠している。
名前は、WOODLAWN CEMETARYでしたか、広大なる土地に、ニューヨーク州の
方々が眠っている。(いろんな国の人々も居るかもしれません)
その入り口で、記念撮影。


Miles Davis 氏 のお墓です。
※みんなの霊をSOMEDAYに連れて帰りたい気分です。


Max Rorch 氏 のお墓です。


Duke Ellington 氏 のお墓です。


Coleman Hawkins 氏 のお墓です。


Illinois Jacquet 氏 のお墓です。


Jackie Mclean 氏 のお墓です。


Lionel Hampton 氏 のお墓です。


1月2日、お決まりのコースであるビレッジバンガード(出演The Bad Plus)、
バードランド(出演バードランドジャズオーケストラ)、スモールズ(一日に3〜4バンド)、
ガレージ(知らないギターカルテット)、ブルーノート、等々、ライブ巡り。
全て、入れ替え制

写真を撮りたかったのですが、どこも撮影禁止なので、ありません。
悲しい事ですが、ニューヨークのジャズクラブは殆ど潰れてしまい、
ほんの数件しか残っておりません。
だからとにかくどの店も殆ど観光客で一杯です。

それともう一件忘れておりましたが、今年3月22日〜28日にSOMEDAYで
七日間行われるEric Alexsander tsが、Jazz Club Smokeで、大晦日の
出演バンドとして、出演するので、ハーレムに行く前に行こうと思ったが、
ソルドアウトでだめでした。
Ericはゲストで入れるようにすると言ってくれましたが、僕はそう言うのは
嫌いなので、断り、ハーレムへ。

色々な店の入り口の写真でも載せようと思いましたが、ありきたりなので止めておきます。

まあカンサスシテーと言い、ニューヨークと言い、無名のミュージシャンでも
かなりうまい人が多く、層の厚さに感心させられます。


1月3日最後の夜になります。さてどこへ行こうかなあ!

1/3は、初めて一人で行動しました。
ハーレムの飲み屋へ行ったり、マンハッタンの最南へ行ったり、いろいろ、
その後又バードランドへ行き、Arturo O'Farrill Afro Latin Jazz Orchestra
を聴きに行きました。
メンバーは殆ど知らない人(中路君にきけばみんな知っていると思うので帰ったら尋ねてみます)
でしたが、矢張りみんなうまい人で固められており、層の厚さに感心さされました。
メンバーの一人に日本人らしきトロンボニストが居りました。
名前は解りまあせん。知っている人が居られたら教えてもらいたいものです。

追記ですが、このニューヨークのバードランドは割とSOMEDAYに似た所が有り、結構の回数
引っ越し、及び休眠(SOMEDAYは休眠してません)を重ねております。
始めは、マンハッタンの中心である52 Street Broadwayに有りましたが、
その後約20年間の休眠後106 Street Broadwayに再開。ここでも数年の防音問題でもめた挙げ句
今の44 Street 8-9 Ave に移転しております。
いずれも、記述の通り防音問題で裁判寸前に迄ことが進み、移転せざるを得なくなった所が
、SOMEDAYにそっくりです。
事情と状況がそれなりに人ごとでなく、よくわかるだけに、悲壮感が蘇ってきます。

SOMEDAYも二度と防音の問題で出なければならないようになる事だけは
、絶対にさけたいと思う今日この頃です。

 所でこのバードランドに昔、多分今から26〜28年前だったか、
このSOMEDAYニューヨークツアーに、当店出演の常連ミュージシャンである
西 直樹 君が新婚旅行を兼ねて参加したのですが、その時思い切ってバードランド
(106Street Broadwayの時)へ出演依頼をして、実現出来た事を思い出します。

日は、12月30だったか31日だったかのメインである夜で、タイトルは、
『SOMEDAY出張ライブ featuring NAOKI NISHI p with NEW YORK MUSICIANS at BIRDLAND』
だったかのタイトルで、サイドメンは、Steve Slagle as、Dave Stryker g、
ベースとドラムは名前を忘れてしまいましたがQUINTETをセットし、
勿論出演のギャラももらってのセットを致しました。

こういう事も有り、お客が入らなかったら、かっこわるいというか、僕の意地と言うか、ニューヨークの
知り合いに日本から国際電話をかけまくって、集め倒した事が、昨日のように思い出されます。

結局満員にする事が出来、店のオーナーは大喜びでギャラをプラスアルファーしてくれました。
勿論、西君も精一杯のプレイをしてくれたおかげで、来てくれたお客さんは、絶賛をしてくれた事を思い出します。

又驚いた事に、お客さんにあのリー・コニッツさんも来てくれたのには、大変感謝しております。

※日本に帰った後、1ヶ月程して、国際電話代が50万円近くかかってしまったのには驚きましたが
  (今だったら、インターネット電話が有るので助かったのですが)

という事で、最後はノスタルジアに浸る最後の日で終えました。

         以上    SOMEDAY マスターでした。


from 2015,29 Dec